わが社はどんなソースをつくり、社会にどう貢献するのか?
この問いに対して、会社の経営理念に「わが社はSauceとしての分をわけまえ、わが社独自の価値を付加して、Sauceなりに人々を幸せにする」と謡っています。
ソースは調味料です。味を調える役割を担う食品です。味を調えるというのは、私たちが口にする料理の味を自分好みに変えることです。私たちは様々な素材と調理方法を組み合わせて料理していきます。もう少し詳しく言うと、料理の基本が素材の味で、その素材の味を活かす応用の世界に「焼く」「煮る」といった調理方法があり、そこに「さ・し・す・せ・そ」といった調味料が乗っかるイメージでしょうか。
実は、私は小さい頃、ソースが嫌いになったことがあります。実家がソース屋ですから、ソースは売るほどたくさんあります。夕食がコロッケのときは、コロッケにソースをかけるのではなく、ソースがなみなみと注がれた大きなお椀に「どぶっと」コロッケを漬けて食べていました。これではソースの味しかせずコロッケを食べている感覚とは程遠いものでした。
昭和の高度経済成長期、ソースは肉や野菜の臭みを隠すマスキング効果のような役割を担っていました。ソースに含まれる香辛料が臭み消しになっていました。しかし、昭和から平成、そして令和へと時代が流れる中で、肉や野菜といった素材の味は、飼料や肥料のお陰で各段に向上しました。獣(けもの)くさい豚肉や青臭いトマト、にんじんなどはほとんど見かけなくなりました。
素材の質が向上していながら、調味料の味がそのままでいて良いはずがないと私は思うのです。理念の一つに掲げている「Sauce(ソース)としての分をわきまえ」というのは、ソースは素材の味を邪魔するほど主張せず、常に脇役としてその素材の味を活かす味として存在すべきだと考えています。
素材の味を邪魔しないというのは味が薄いという意味ではありません。調味料は味を調える食品ですから、ある程度の味がしないと存在価値がありません。その微妙な味の範囲を追求するのがトリイソースの使命です。トリイソースをかけても『ちゃんと肉の旨味が分かる』『野菜の繊細な甘味が分かる』。そんな感覚で料理を食べた時、私はささやかながらも幸せな気分になります。同じような感覚をお持ちの方々に召し上がっていただきたい。そのようなソースをつくることがわが社の社会に貢献できる存在価値だと思っています。